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始まりの日

始まりの日

 film photography by FUJIGARA

film photography by FUJIGARA

私はADHDの人に対して、社会的にはうまくいかないことが多いけれど、どこか特技やこだわりがある、というイメージを持っていた。そして、それらに該当する人たちはテレビに出ていて、みんな輝いているように思えた。

去年の夏、アルバイト中に先輩から教えてもらったことが全くできなかった。どれだけ教えてもらっても同じ動きが出来なくて、頭がボーっとして息ができないぐらい苦しくなった。これはよくあることで、焦ったり、自分のやりたい通りにいかないことがあると、どうしても頭が真っ白になって涙が出そうになる。だんだん息の仕方が分からなくなってきてもう限界だと思い、先輩にお願いして一度教えてもらうことを止めてもらった。

私が教えてもらったことはアルバイト先では、単純作業のように行われている、メガネの曲げ方、それだけだった。一緒に教えてもらっていた子は、普通に力を入れてメガネのテンプルをゆっくり曲げていた。私には力の入れ方がわからなかった。どれだけ押してもうまくいかなかった。「握力ない?(笑)」なんて、情でかけてもらった言葉が心の奥底にズンっと刺さった。

  結果を見ると今回も同じ「ADHDの可能性あり」だった。

結果を見ると今回も同じ「ADHDの可能性あり」だった。

その日の帰りは悔しくて、悔しくてたまらなかった。そんなときはいつもネットで「単純作業・できない」と調べてみる。そうすると、1番上にADHDのチェック項目が出てきて、チェックリストにチェックをいれる。結果を見ると今回も同じ「ADHDの可能性あり」だった。この結果が出ると、スマホの画面に必ずADHDの専門の病院広告が出てくる、今までは、この広告を見たとしても病院に行かなかったし、行く気にもなれなかった。でも今回ばかりは何故だか「専門の病院に行ってみようかな」と思った。周りの人からすればとっても些細な『できないこと』かもしれないが、私にとっては、周りのみんなができていることができないという現実をやっぱり真に受けている今この状況は、とても辛く「これ以上のことはきっとできないんだろうな。」と自分の限界を知った気になってしまった。その時の私には、立ち止まるか、動くかの二択しかなかった。「もう誰にも迷惑をかけるわけにはいかない…」そう思って動く決意をし、ADHDなど大人の発達障害を専門に診ている病院に1週間後の予約をいれた。

初診の日、私の気持ちはいつもと何にも変わっていなかった。普通に電車に乗り、最寄り駅につき、駅の近くのビルの中にある小さな病院を訪れた。病院では今までの人生を事細かく話した。「またこれか…」と思った。私は今まで何度か精神科の病院を受診したことがある。そのたびに涙を流しながら自分の人生を話した。『なんで泣いてるんだろう』心の中で、そういつも感じる。自分の話をしていると、いつも涙が出てしまう。なんで泣いているのかは分からないけど涙が溢れてきてしまう。

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ADHD

私はADHDと言われた時「よかった」と心の底から安心したのだ

精神科を受診する度に、違う病名を伝えられ、最初は「そうなのかな。」と受け入れようとはしてみるけれど、日が経つと「そんな病気ではないはず…」と思ってしまい、また新しい病院を受診して違う結果を探すことの繰り返しだった。その日の発達障害の専門の病院での診察は、今まで受けてきた精神科の診察と同じく、ただ話をするだけだった。そして次の週に専門の病院らしく、筆記のテストを受け、その2週間後ぐらいには結果を伝えられることになった。結果を教えてもらう日、この日も私はいつも通り何の緊張もなく、病院に行った。先生は紙を見せてくれて「ADHD(注意欠如多動性障害)とASD(自閉症、アスペルガー症候群)が見られますね」とサラっと言い、その後丁寧にいろいろと説明をしてくれた。その時の丁寧な話の内容はあまり覚えていないけれど、ひとつだけ覚えていることがある。私はADHDと言われた時「よかった」と心の底から安心したのだ。今まで何度か精神科を受診して、結果を言われても何にも思わなかったのに、初めて専門の病院に行き自分が「ADHD」であることを知ったその瞬間、心の奥底にほんの少しだけ灯りがついた気がした。

安心するのなんておかしな話かもしれない、でも今までこの「当たり前」が「当たり前」にできないことで何度も苦しんできたんだから…

少し昔の話を振り返ってみようと思う。高校生のときに始めたアルバイトではバイト先から「アナタにいてもらうと助かる」と言われ、重宝される存在になった。時給もかなり上がった。そんな時に、アルバイト先で1番最後に教えてもらう、パフェの作り方を教えてもらったとき、どれだけ頭で覚えたつもりでも、何故だがパフェを作ることができなくて、私はいつまでたってもその仕事をすることができなかった。私の後に入った後輩は私より少し後に入ってきたのに、私の出来ないことの穴をうめるためにパフェを作っていた。「不器用でごめんね!」なんて声を掛けたけど、心の中で「どうしてこれができないんだ」と思った。

専門学生の時に憧れていたアパレル会社がSNSなどの更新をするアルバイトを募集していた。私はすぐに履歴書を送り、履歴書は合格、面接もとっても良い感じに進み、会社の人に「本当にやる気も伝わるので、一緒に働けるのが楽しみです。まあ、最後に簡単なテストをするんですが、これは本当に簡単なので誰でもできますよ(笑)」と言われたテストを受けた。テストの内容は空間図形を解く問題だった。私はそのテストの結果が0点だった。問題を見た瞬間に「これはダメだ」と思った。結果を見た採用担当の社員さんに「これはな~…ちょっと考えて話し合ってまた連絡しますね?」と言われ、1週間も経たないうちに不採用のメールが届いた。面接の帰り、コンビニで買った水を一気飲みした。体中が熱くて恥ずかしくて今にも消えたい気持ちでいっぱいだったから。

頑張りたいと思ったけど、頭の中で図形を組み立てることは中学生の時からずっとできなくて、ある程度他の勉強はできても、そのテストだけは、0点だった。先生に「他は結構できるのに、これがな~…どうしたらできるようになるんだろうね…」なんて悲しいことを言われたな。

なんて、今までに起きた色々なことを病院の帰り道に思い出しながら歩いていた。途中でコンビニに寄り、買ったペットボトルの水。うまく飲めなくて口から水がこぼれた。「これもいつものことだな。」そんなことを思いながら頭のどこかで「これもADHDのせいなのかな?」なんて思う日々が始まった

  この作品は二編に続きます。。。

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